卒業生 答辞

3年前の四月、暖かい日差しが降りそそぐ中、
僕たちの中学校生活は始まりました。

憧れの制服に袖を通し、
希望や期待、不安などさまざまな
感情が入り混じる中で迎えた入学式。
201名という多くの仲間たちとの出会いに
胸を弾ませたことを今でも鮮明に覚えています。

初の学年行事となったオリエンテーション合宿。
1泊2日での仲間との時間は、
中学校生活での最初の思い出です。

先輩、手本という言葉をかけられるようになった2年生。
職場体験学習は、
働くとはどのようなことなのかを知るだけでなく、
学校生活で大切なことを学べました。

事前学習では感じられなかった、広島で起きたことの悲惨さ。
もう二度と戦争を繰り返してはいけない、
平和な世の中を創るためには何をすべきかを
みなが考えた広島研修。

修学旅行の準備が始まったちょうどその頃、
僕たちを襲ったのは見えない敵でした。
突然の休校、外出の自粛、
さらに仲間と会って話すことさえできず、
家で不安な日々を過ごしました。
修学旅行で東京へ行けるのだろうか?
三年間仲間たちとがんばってきた部活動はやれるのか?
増え続ける感染者数。
自分も感染してしまうのではないか、という恐怖。
もしかしたら、
今年は学校に行くことなく終わってしまうかもしれない。
そう思った時期もありました。
そんなとき、助けてくれたのは、
ここにいる三年生の仲間、先生、そして家族の存在でした。
約三か月の休校も終わり、
再び仲間と会うことができるようになった6月。
生活は一変。
お互いの表情がわかりづらいマスク姿。
前を見て無言で食べる給食。
歌うことのできない音楽の授業。
当たり前のことが変わってしまい、
不自由な生活を強いられる中、
追い打ちをかけるように伝えられた
部活動の最後の大会の中止。
そんな生活を送る自分たちを救ってくれたのは、
先生たちでした。
まず中止になった夏の大会の代わりに
近隣の中学校との大会を開催してくれました。
三年間努力してきた部活動が
何もなく終わることを悲しんでいた僕たちが
前を向くきっかけとなりました。
みんなと出た試合は楽しく、
三年間大変な練習に耐えた甲斐があったと
心から思うことができました。

縮小でも行えた学校祭。
体育館に響くことのないハーモニー。
3年生だけで踊るパフォーマンス。
しかし、僕たちは前向きに今年だからこそ
できることをしようと思いました。
合唱ができないなら他の種目を全力で取り組めばいい。
三年生だけのパフォーマンスなら、
指先まで完璧にそろえて踊ればいい。
それでも時に、
思うように練習が進まなかったこともあったけど、
全員で助け合い、励ましあったことで、
最高の形で本番を迎えることができました。
学校祭には勝ち負けがあります。
僕も昨年までは勝つことを一番に考えていました。
しかし、今年は開催を喜び、楽しむことを一番に考えました。
その結果、今までで一番内容の濃い一日となりました。

僕たちが一番楽しみにしていた修学旅行。
行先の変更。
さらに残酷にも突き付けられた修学旅行の中止。
しかし、それでも先生たちは諦めずに
僕たちに思い出を作る機会を与えてくれました。
名前も修学旅行から卒業遠足に変わり、
思う存分楽しんでいいと言われた気分でした。
「日帰りのナガシマ」
当日は三年間ともに過ごした仲間たちと
楽しい時間を過ごし、
一日があっと言う間に過ぎました。

三年間、そばにいてくれた先生方。
先生方の授業、かけてくださった言葉。
そのすべてが、僕たちが前に進む力となりました。
今年は今までと違う一年になりましたが、
先生方のおかげで、本当に素晴らしい3年になりました。
三年間、本当にありがとうございました。

大切な家族。
十五年間、味方でいてくれてありがとう。
いつも本気で悩みを聞いてくれてありがとう。
どんなに心配でも、温かく見守ってくれてありがとう。
今まで数えきれないほどの感謝をしてきました。
でも、その気持ちを素直に伝えられず、
反抗してしまうこともありました。
本当にごめんなさい。
そんな素直になれない僕と
いつも一緒にいてくれる家族が大好きです。
これからもよろしくお願いします。

三年生のみんな。
いつも近くにいた196人の仲間。
そんなみんなと会えなくなるのはとても寂しいです。
それでも前に進まなければなりません。
一人ひとり違う道を。それぞれの正解を求めて。
今日で弥富中学校での日々は幕を閉じます。
ですが、僕たちの思い出が色あせることはありません。
胸を張り、自信をもってそれぞれの一歩を踏み出しましょう。
僕たちのこころのふるさと、
弥富中学校ありがとう、さようなら。

 令和3年3月3日
  卒業生代表