- 2024.10.1後期生徒会三役選挙(10/1)
- 2024.9.30学校祭の様子③(9/30)
- 2024.9.30学校祭の様子②(9/30)
- 2024.9.30学校祭の様子①(9/30)
- 2024.9.26文化の部前日(9/26)
6時間目に社教センターまで、やとみ金魚アクアリウムを見学に行きました。
中に入って金魚を見ました。
金魚がたくさんいて照明も当たっていてきれいでした。青色と赤色の照明でした。
いろんな色の大きい金魚がいました。金魚が大きすぎてびっくりしました。
金魚の顔がおもしろかったです。
大きい水槽が感動しました。本物そっくりの金魚が見ました。すごかったと思います。
メダカもきれいでした。かわいかったです。
こんにちは、情報処理部2年生です。
11月9日に広島からから無事に帰ってきました!
11月8日の1日目にあったことを音楽関連で話していこうと思います。
まず、原爆ドームの対岸で歌を歌いました。
歌っていると、対岸にはたくさんの人が来ていました。
外国人の方も大勢足を止めて聴いてくれました。
歌い終わると、拍手をいただきました。 ありがたい…
次に、被爆ピアノの演奏を聴きました。
そこにはピアノが2台あって、片方は被爆ピアノ。もう一つは普通のピアノでした。
聞いていると、普通のピアノと変わらないくらいきれいな音を奏でていました。
僕たちの歌った「HEIWAの鐘」と被爆ピアノの音色が原爆によってなくなった約30万人の人や今なお、原爆によって苦しむ人に届いていたらいいなと思いました。
「目からウロコの栄養講座」に続いて、12:10~13:30に図書室でPTA健康委員会主催の「給食試食会」が行われました。
今日の献立は、「鶏肉のレモン風味焼き」「ひじきと小松菜の和え物」「スタミナ団子汁」「ヨーグルト」「ごはん」「牛乳」です。
河橋栄養教諭から、生徒が好きな「鶏肉のレモン風味焼き」や「スタミナ団子汁」の説明を聞いた後、健康委員さんが給食当番になって盛り付け、参加者全員でてきぱきと配膳が行われました。手際の良さには脱帽です。
和やかな雰囲気の中で、「いただきます」をして試食が行われました。「昔と現在の給食の違い」や「レシピは?」などが話題になっていました。
「ごちそうさま」のあとで、河橋栄養教諭から,ユーモアを交えながら弥富中給食室での調理の様子を記録した動画の上映がありました。
普段目にすることができない給食室の設備や、調理の行程の中で、流水を使って3回繰り返して野菜を洗っていることや、何度も温度を測定していることなど、様子がよく分かりました。衛生・安全面に非常に気を付けて給食が毎日調理されていて、驚きと給食に対する感謝の声が上がりました。
企画運営の健康委員のみなさま、河橋先生に厚くお礼を申し上げます。
9:30~11:00に図書室でPTA研修委員会主催の「目からウロコの栄養講座」が行われました。
弥富市在住の安藤里枝様・愛西市在住の平野ユカリ様のお二人を講師にお招きしました。お二人自らが実践された肥満から脱却した経験談をもとにして、普段の食事の栄養バランスの重要性を話されました。
正しい減量・栄養摂取により、身体の中からきれいにして健康を維持することや、体質改善ができることなど熱く語られました。
講話の後は、希望者を対象にアンケートに答えた後、筋肉量や体脂肪を計測し、一人一人にアドバイスをしていただきました。改めて日頃の食事・栄養接収について考え直すよい機会となりました。
企画運営の研修委員のみなさま、講師のお二人に、厚くお礼を申し上げます。
2日間の広島研修の最後は、「広島平和記念資料館」の見学です。あいにく今は建物の改築工事中で、資料も約半分ほどしか展示されていませんが、それでも以前のものからずいぶんリニューアルされたものを見ることができます。
入って最初に手にしたのは、大きな円形の広島市のジオラマです。ジオラマといってもCG(コンピュータグラフィック)で再現された昭和20年の広島です。そこには人々が生き生きと生活をしていました。そこに上空からだんだん大きくなりながら姿を現したのが「原子爆弾」です。閃光が走ったかと思った次の瞬間、先ほどまでの広島の街から人が消え、ほとんどの建物が消えました。
こういう博物館、資料館の展示物というのは、ひと通り見たら次は移動するものですが、子どもたちは動こうとしません。何かが、子どもたちの心をつかんで離さなかったのでしょうか。その先の展示物でも、じっくりと見入る子、必死にメモを取る子の姿が見られました。以前に比べると実物資料は少なくなりましたが、逆に、平和記念式典の様子や平和宣言など“未来”へつながる展示物が多くなったように思います。
おそらく、中学生の子どもたちにすべてを理解することは難しいと思います。しかし、この二日間で、「私たちは何をすべきか」を考える種を心に植えつけたことは間違いないと思います。それがこれからどんな形で成長し、どんな花を咲かせるのか、とても楽しみです。
新幹線に心地よく揺られながら眠る子たちは、どんな未来を築いてくれるのでしょうか。
(上2枚の写真をクリックすると、スライドショーをご覧いただけます)
最後になりましたが、2年生全員が広島の地を訪れて研修できる機会を設けていただいた市の教育委員会に深く感謝申し上げます。今回の研修にもお二人も同行いただき、子どもたちをサポートしていただくとともに、その姿を生でご覧いただきました。ありがとうございました。
子どもたちが宿泊している江田島は、深夜2時ごろにかなりの雨が降りましたりしかし、それも朝にはすっかり上がり子どもたちの2日目がスタートしました。
こういう宿泊行事で私たちが一番心配するのは「夜、ちゃんと寝られるか」です。それは寝不足だと次の日に体調を崩すのことが多いからです。でも、子どもたちはよく眠れたようで、元気よく、
「おはようございます!」
とあいさつを交わしました。そのあいさつは朝の集いや退所式で所員の方にもすることができ、江田島青少年交流の家を後にしました。
今日、最初の目的地は「大和ミュージアム」です。広島の隣町である呉市は戦時中は海軍工廠(こうしょう)があり戦争の最前線基地でした。そこで、当時の最先端の技術を集めて建造されたのが戦艦「大和」でした。その大和100分の1スケールの大きさに圧倒されました。
その中で、子どもたちが一番足を止めたのが「回天」でした。一人がやっと乗れるだけの小さな潜水艦に弾薬を積んで敵艦に体当たりをするために作られたものです。飛行機を使った特攻隊はよく知られていますが、海戦でも同様の作戦が行われ、尊い命が奪われたことを初めて知りました。
ずっと緊張感をもって過ごした子どもたちがいつもの活発な様子に戻ったのは夕食の時間でした。お昼がしげるちゃん弁当だったこともあり、
「おなかすいたぁ」
を連発していた子たちは、「いただきます」の声とともに食べるわ食べるわ。しまいには厨房の方から、
「すみません。今、ご飯を炊いてます」
とおわびいただくほどでした。お腹いっぱい食べられる子どもたちは幸せです。
食事をとった後は、今日の最後の活動、被曝ピアノの演奏と歌です。爆心地から1.8kmで被曝したピアノ。そこには無数のガラスが刺さっていました。しかし、そのピアノを引き取り当時の材料で修理する活動をしてみえる調律師さんと出会い、再び優しい音色を奏でるようになったといいます。その音で歌を聴かせていただいた後、今度はそのピアノを弾かせていただき、「HEIWAの鐘」を歌わせていただきました。真ん中の画像をクリックしてください。
昼間、原爆ドームに向かって歌った曲と同じですが、昼間はどことなくもの悲しさを感じましたが、被曝ピアノと一緒に歌った夜は力強さを感じました。これは復興から立ち直っていく広島のエネルギーがそうさせたのかもしれません。そんな子どもたちは入浴を済ませ、まもなく眠りにつきます。遠い広島の地で、どんな夢を見るのでしょうか?
おやすみなさい。
2年生が広島で研修をしているとき、1年生は校内で身の回りで生活している障がいやハンディキャップをもった様々な人を理解するための学習を行いました。
午前は「認知症サポーター養成講座」を行いました。海南病院から講師の先生をお招きしました。弥富市内には、平成30年1664人の認知症(予備軍を含む)患者がいると推計されているそうです。認知症について正しい知識を教わり、認知症の人に対して、どんな対応の仕方がよいのかを学びました。認知症サポーター養成講座を受講した証としてオレンジ色のブレスレットをいただきました。
午後は、弥富市社会福祉協議会の協力を得て「福祉実践教室」を行いました。開講式のあと、「手話」「高齢者疑似体験」「点訳」「車椅子」「視覚障害者ガイドヘルプ」「音訳」と6つの会場に分かれて、体験を通して勉強しました。どの講座も一人一人の真剣な眼差しが見られました。最後にお礼として学年合唱「永遠のキャンパス」を送りました。講師の先生方から受講態度や学年合唱についてもお褒めの言葉をいただきました。
誰もが認知症になったり障がいやハンディキャプをもったりする可能性があります。認知症の人もそうでない人も、障がいのある人もない人も、みんなが笑顔で毎日を送ることができる共生社会をめざして、まず偏見をもたないこと、そして出会ったときには手助けが必要かどうかを聞いて、必要な手助けが当たり前にできる大人になってほしいと願っています。
広島平和記念公園に着いた子どもたちは、まず原爆ドームを正面に見る元安川のほとりに歩を進めました。被曝のシンボル的存在の原爆ドームに歌を捧げるためです。これまで写真やインターネット上でしか見たことのなかったそれはとても大きく子どもたちに迫りました。だからこそ、その鉄骨がむき出しとなった姿が痛々しさや戦争の悲惨さを訴えていました。
その原爆ドームにずっと練習をしてきた「HEIWAの鐘」を捧げます。(原爆ドームの写真をクリックすると合唱をお聞きいただけます)
今日の平和記念公園は大勢の人たちが訪れ、あちらこちらからさまざまな声が聞こえていました。しかし、動画をご覧いただいても分かるように、それはしたいななくなり、歩いていた人も立ち止まって聴き入ってくださっているのが分かります。そして、歌い上げたその瞬間、拍手が子どもたちを優しく包みました。
その後、ガイドボランティアの方々にいろいろな場所を案内していただきました。そこで聞くこと、そこで目にするものは、私たちの知らないことばかりでした。でも、子どもたちはそれにまっすぐ向き合い、心に刻み込んでいました。(こちらも写真をクリックするとスライドショーでご覧いただけます)