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江田島青少年交流の家を出発した子どもたちは、再び「広島平和記念資料館」へやってきました。昨日はその周辺の公園を巡り、今日は資料館の中を見学するという日程です。
資料館は今、改築中で、展示物もかなり一新してありました。これまでは人形や模型などを多く使っていましたが、新しい展示コーナーはコンピュータを駆使して映像資料を多く見ることができました。また、タプレットのように自分自身で画面を切り替えることもできるようになっていました。そのために子どもたちは、説明パネルを見るだけではなく、自分の興味関心のあるところを深く調べていました。
ここで見せた子どもたちの目は、この二日間で一番強いまなざしでした。いや、正確には、目で資料を追っているというよりは心が揺さぶられているという印象を受けました。時間に限りがあり、十分な理解ができないまま資料館を後にした子どもたち。いつか必ず、ここを再び訪れてくれることと信じています。その時に自分の子どもも一緒なら、必ず「平和の語り部」となってくれることを信じて、広島を後にしました。
広島の夜は子どもたちの味方でした。心配していた冷え込みもさほどなく、子どもたちはぐっすりと眠れ、朝になっても、ほらこの通り(笑)体調を大きく崩す子もほとんどありませんでした。
でも、起床の時刻とともにさっと起き、身じたくやシーツの片付けなどを手際よく行います。同じ部屋の仲間と協力する姿も見られました。こんなところに、1年生の時のオリエンテーション合宿での経験が生きているのでしょうか。
朝のつどいは、昨夜からの雨で下が濡れているので、体育館で行いました。同宿となった自動車メーカーの新入社員研修の方々と一緒に、元気よくあいさつを交わし今日の活動への決意を述べました。その後の朝食もしっかりいただき、今日のエネルギーを補給し、さあ二日目のスタートです。
★昨日、「被爆ピアノ」で歌った「COSMOS」の動画をアップしました。その写真をクリックしてご覧ください。
「いただきま〜す!」
まっすぐな気持ちで歴史に向き合ってきた子どもたちが、いつものはじける笑顔を見せてくれたのが夕食の時間です。今日の献立は、「麻婆丼」をメインに何種類ものバイキングでした。お昼が戦時中を少し体験するためのしげるちゃん弁当でしたから、皆、お腹が空いていたようでたくさん食べました。
その後は「被爆ピアノ」鑑賞と合唱です。「被爆ピアノ」とは、その名の通り投下された原子爆弾によって被爆したピアノです。
「被爆ピアノは、日本にしかありません」
という、調律をした方の言葉に「はっ」としました。そうなんです。日本は唯一の被爆国なんです。広島や長崎で無数のガラス片を浴びたピアノ。命を吹き込まれたそれは、私たちにすてきな音色を聴かせてくれました。子どもたちの聴き入る目がそう物語っていました。
お礼は学校祭で歌った「COSMOS」です。被爆ピアノがそのメロディを奏でてくれ、先ほど演奏と歌を聴かせてくださったお二人がそれをしっかりと聴いてくださり大きな拍手をくださいました。合唱画像をクリックすると動画でご覧いただけます。子どもたちの歌声とともに、被爆ピアノの音色もお聴きください。
思っていたより冷えなかった広島の夜が、子どもたちを温かく包み眠りにつかせてくれました。おやすみなさい。
「黙とう」
広島平和記念公園に降り立った子どもたちは、最初に「原爆の子の像」の前に向かいました。手にはみんなで折った千羽鶴が。その中には保護者の方に折っていただいたものも入っています。そんな思いのこもった鶴を代表の子がそっと献呈しました。そして、代表の子が打ち鳴らす鐘の音が響く中、黙とうをささげました。ほんのわずかな時間でしたが、静寂が公園内、そして子どもたちの心の中に広がりました。
その後、12のグループに分かれ、それぞれにガイドボランティアの方について、公園内を案内していただきました。どの場所にも歴史があり、そこから立ち上がった願いがありました。子どもたちは、そんなガイドさんの言葉にしっかり耳を傾け、メモをとっていました。
平和記念公園での最後は、実際に被爆された中西巖さんからお話をうかがう時間です。中西さんは1945年8月6日、広島の中心地から少し離れた所にみえ、翌日に親戚を探しに市内に入り被爆されたそうです。
「話すのは勘弁してもらいたい」
と切り出した中西さん。その理由を語り始められました。
「なぜなら、多くの人が亡くなっているのに自分は生き残りました。申し訳ない気持ちがあります。でも、そのことを伝えていかなくてはならないという思いで話をさせていただきます」
と。当時の映像を映し出しながら話されるその内容は、本で読むよりもテレビで観るよりも、鮮明に、そして重く届きました。
「終戦。恥ずかしいけどうれしかった」
と話を終えられた中西さんの言葉は、きっと当時は口に出すことも許されなかったことでしょう。しかし、この言葉に、一歩を踏み出した力強さを感じました。
「くり返してはいけない歴史を後世に伝えていきたいと思います」
中西さんに、誓いを込めたお礼を述べ平和記念公園を後にしました。
去年のオリエンテーション合宿とは違い、やや緊張感をもった出発式を終えた子どもたちは新幹線で、一路、広島へ。修学旅行ならおやつを食べながら過ごす車内ですが、広島研修は「研修」を最大の目的としていますので、静かに過ごします。読書をする子や朝が早かったから目をつむる子もいます。乗ること2時間ちょっとで、目的地の広島に着きました。
お昼前ということで、すぐにお弁当が配られました。配られたのは、小さなパックに入った豆ご飯。少し塩味がついています。それに切り干しだいこん少し添えられていました。これが「しげるちゃん弁当」です。中学1年生で被爆した折免滋(おりめん しげる)さんが持っていた弁当を再現したものと言われています。お母さんが作ってくれたお弁当を食べることなく亡くなったしげるさん、その思いを子どもたちはどう感じてくれたでしょうか。
少し緊張した表情のJIN先生がそこにいました。
3時間目の1年C組の英語の授業は、ALTのJIN先生との授業です。でも、教室の後ろにはバインダーを手にした二人のお客様がみえ、その授業の様子をじーっと見てみえます。この方々は、ALTの先生を派遣してくださっている会社の方で、定期的にこうやって学校へみえ、ALTの先生の指導力や子どもへの接し方、英語の先生とのコミュニケーションなど、さまざまな観点で授業をご覧になられます。授業が終わったあとは、1時間ほど面談もされました。JIN先生にとっては緊張した時間だったでしょうが、学校としては、こうやって指導いただけることはとてもありがたいことです。
実は来週は、私たちが緊張する番です。「学校訪問」といって、教育委員会の方々をはじめ多くの方々が午前中に授業をご覧になり、午後には、さまざまな書類の確認やら参観した授業等についてのご指導をいただく日です。緊張はしますが、子どもたちにきちんと向き合うために、JIN先生同様、大切な機会としたいと思います。
朝礼校長講話(11月6日)
明日から2年生が広島での「平和学習」に出かけます。そして、学校に残った1先生は、市の社会福祉協議会の協力を得て「福祉実践教室」を行います。これらの機会をとおして、少しでも自分の考えが広まったり深まったりしてくれたらと期待します。
また、それらの経験をすでにすませた3年生は、その成長した姿を卒業アルバムに残します。
そんな週の始まりを落ち着いた雰囲気で迎えました。
さわやかな青空のもと、三ツ又池公園を会場に、海部地区駅伝大会が行われました。今年の中体連の最後を飾る締めくくりの大会です。また駅伝部はないので、全校から希望者を募ってチームを編成する、まさに「オール弥中」で臨む大会です。各クラスから寄せられた応援メッセージをつないでつないで作られた横断幕が会場に貼られ、レース前の選手たちはそれをひとつひとつ見入っていました。
今年は男女ともユニホームとたすきを新調しました。男子は黒に青と白いライン、女子は白に赤と朱色のラインです。たすきは駅伝ランナーのあこがれである箱根駅伝仕様の、「弥富中学校」と金色で刺しゅうされたものにしました。
女子は常に上位を狙える位置をキープしてたすきをつなぎ、昨年よりもタイムも順位も上回る7位(49分54秒)でした。男子は、昨年度の優勝校というプライドとプレッシャーを背負っての戦いです。もちろん、他の学校の目標にもされます。そんな中で、こちらも優勝争いに絡みながらたすきをつないでいきました。結果は4位(57分32秒)でした。