ピカソになって広島を描く(12月11日)

「ゲルニカ」をご存知でしょうか。
 
「ゲルニカ」はスペイン北部にある町です。1937年、スペイン内戦に介入するかたちでそのゲルニカにドイツ軍が無差別空爆を行いました。この空爆は焼夷弾が初めて本格的に使われた空襲で「史上初の無差別空爆」とも呼ばれています。当時、フランスのパリでその報を聞いたピカソは、自分の祖国であるスペインが焼け野原となったことに大きな悲しみと怒りを覚え、それを「ゲルニカ」として世に送り出しました。描かれているもの一つ一つをよく見ると、そこにはピカソが感じた悲しみや怒りがさまざまな形で描かれています。
 
それから80年たった今年11月、2年生は広島へ出かけました。そこで目の当たりにした原子爆弾による惨状。そこを必死の思いで生き延びた被爆者の思い、等々。子どもたちはそこで何かを感じ、多くのことを考えました。今、それを新聞のようにまとめる作業を行っています。それとあわせて、美術の時間にその思いを絵で表しました。一人一人が感じたことを描き、それを切り取って黒い画用紙に貼ってクラスで1枚の「ゲルニカ-広島版-」を制作しました。
今、懇談にあわせてそれが教室の廊下に展示してあります。

朝礼ー人権週間ー(12月4日)

12月4日(月)から10日(日)までは人権週間です。今でこそ「人権」という言葉をよく耳にするようになりましたが、まだまだ日本は人権についての意識が他の国ほど高くないのが現状です。だからこそ、こういう機会に身の回りにある人権について考えました。
朝礼の後、人権担当の先生が、自身がアフリカで経験した「マイノリティ」としての差別を、写真を交えて語ってくれました。アフリカへ行けば、日本人はもちろんアジア系の人は“少数派”となり、奇異な目で見られたそうです。その目を私たちは日本国内で知らず知らずのうちにしていないでしょうか。
そんな一例を知った子どもたちは、教室へ戻り、今度は同じ中学生が書いた作文「全国中学生人権作文コンテスト」を題材に、さまざまな角度から人権について考えました。
【1年生】「きれいな心のままで」
【2年生】「真の国際化に向けて」
【3年生】「手伝えることはありますか」
自分と同じ学年の子が書いた作文ですので、共感できる部分も多くあったようで、子どもたちは真剣に読み、プリントに感想を書いていました。
人権は特別なことでもなんでもなく、日常の身近なところにその事例はたくさんあります。それに気づくだけでも大きな一歩だと思いますし、自分にできることを少し行動に表すだけでも世の中はずいぶん変わるのではないかと思います。

雲のでき方を学んでいます(12月1日)

「シューッ!!」

6時間目、2年F組の教室から不思議な音が聞こえてくるではありませんか。

理科の授業中、ペットボトルを使った実験をしていました。

ペットボトルのふたに付いているポンプを繰り返し押していくと、ペットボトル内に空気が入り、気圧が上がっていきます。一定の所まで押してから、ふたを開けると、ペットボトル内の空気が抜け、気圧が一気に下がります。ペットボトル内が曇り、ペットボトル内に雲が発生したことがわかります。

あの音は、空気が抜け、気圧が一気に下がるときに聞こえる音だったのです。

今日は「くものでき方」を知る実験のようです。

教員が実験を見せた後、生徒は代わる代わるペットボトルを使って実験をしました。

「おー!」

雲ができる度に目をキラキラさせていました。

外は、灰色の雲が学校の上空を覆っています。ペットボトルの中で起こった現象が、自分たちが過ごしている上空で起こっている。当たり前に起きる現象について、自分の目の前で見た現象と同じであることが実感できたと思います。

技能教科がおもしろい(12月1日)

体育館から、
「面!」
「すね!」
の声が聞こえてきます。今年もなぎなたの授業が始まりました。なぎなたは平成6年の「わかしゃち国体」で弥富市(当時は弥富町)がなぎなた会場になったことをきっかけに市民スポーツとして取り入れられ、学校の部活動や体育の授業に組み込まれました。体育の先生も研修会に出かけていますが、市からも講師の先生を派遣していただきその指導を受けています。
そんな体育館の声を遠くに聞きながら、北校舎を歩いていると、調理室からはよい匂いが、木工室からは小気味よいかなづちの音が聞こえてきます。
調理室では3年生が乳児のための「離乳食」を作っていました。米粉を練ってそこにじゃこをすりつぶして入れて焼くというものです。歯がまだ生えていない乳児に栄養価の高いものを、という意図で考えました。
木工室では1年生が、1枚の板を設計図(製図」通りに切り、それを組み立てて本立てを作っていました。部材をカットする段階は終え、今日は、それを釘で打つ作業や、側面の板に糸のこ盤で細工を入れていました。
かつて、男子が技術科、女子が家庭科と別々に行っていたのは遠い昔のことで、今はともに男女共修です。将来、家庭をもった時にお互いが助け合うというねらいもこめられており、授業も互いに教え合う様子も見られほほえましい時間でした。

命の伝承(11月17日)

2年生の廊下を歩いていると、手洗い場の脇にいくつもの鉢花があることに気づきます。これまでも何種類かの植物がそこで育てられていました。そこに、今、新しい仲間が育っています。「キョウチクトウ」です。
 
これは、先週訪れた広島でいただいてきたものです。そこには、広島市長からのこんなメッセージが添えられていました。広島研修から帰ってきた解散式で学年主任からこのメッセージとともに紹介されたキョウチクトウ。今、207人の2年生に見守られながら、その命を膨らませています。キョウチクトウの隣には、弥富で育ったミニバラも小さな花をつけています。広島の命が遠く離れた弥富で受け継がれていることにその尊さを感じます。

        メッセージ
            
 人類史上初めてもたらされた一発の原子爆弾によって、焼野原になった広島は、「75年間は草木も生えない」と言われました。
 被爆後いち早く咲いたキョウチクトウは、生き残った広島市民に復興への希望と勇気を与えてくれたものです。
 市の花にもなっている、この「キョウチクトウ」の苗木は、被爆地広島が、世界の恒久平和を祈念して、全国に「平和の輪」を広げるために、平和記念公園の木を、挿し木して育てたものです。
 皆さんの手で大きく育て立派な花を咲かせて、平和の尊さを伝えていってください。