教育相談(11月19日)

5時間目。廊下に1組の机といすが運び出されました。自習している教室の中の様子が見える側に担任が、それと向かい合うように子どもが座り「教育相談」が始まりました。
ひと言で教育相談と言ってもその内容はさまざまです。3年生のこの時期はどうしても進路が中心となります。
「コンコン」
「はい、どうぞ」
「失礼します」
入試の面接で生かせるように、この機会を利用して教室からそのいすに座るまでの練習をしているクラスもありました。
「どれくらい勉強しているの?」
そんな会話が聞こえました。
一方、1、2年生は勉強もですが、
「どう、最近、気になっていることはない?」
と友人関係や部活動など、子どもたちが抱えていることに目を向けています。もちろんこの教育相談で一人にかけることができる時間はとても短く、この中で解決することは無理ですが、「先生に相談すればいいんだ」「先生、気にかけてくれてたんだ」と思ってもらうことで、また別の機会に、
「そういえば、あのこと、どうなった?」
と声をかけることもできます。今日から始まった教育相談がそんなきっかけになることを願っています。

広島と向き合う。自分と向き合う。(11月13日)

広島研修を終えて、2年生は今週からレポートづくりが始まりました。まず、しおりを見ながら2日間で見たことや聴いたこと、学んだことを思い出しました。書く内容を考え始めると、3年生の修学旅行のように「楽しかった!」という雰囲気はありません。平和記念資料館でいただいたハンドブックもじっと見ながら、改めて「戦争」や「平和」について、多くの生徒が深く考える静かな時間となりました。なかなか書く内容が決まらないのは、アイデアがないのではなく、書くことがありすぎてまとめられないのでしょうか。それとも、どうまとめることが今の自分の答なのかを考えているのでしょうか。
レポートの完成が待ち遠しいです。
RIMG0142 RIMG0143
RIMG0144

広島研修2日目②(11月9日)

2日間の広島研修の最後は、「広島平和記念資料館」の見学です。あいにく今は建物の改築工事中で、資料も約半分ほどしか展示されていませんが、それでも以前のものからずいぶんリニューアルされたものを見ることができます。
入って最初に手にしたのは、大きな円形の広島市のジオラマです。ジオラマといってもCG(コンピュータグラフィック)で再現された昭和20年の広島です。そこには人々が生き生きと生活をしていました。そこに上空からだんだん大きくなりながら姿を現したのが「原子爆弾」です。閃光が走ったかと思った次の瞬間、先ほどまでの広島の街から人が消え、ほとんどの建物が消えました。
こういう博物館、資料館の展示物というのは、ひと通り見たら次は移動するものですが、子どもたちは動こうとしません。何かが、子どもたちの心をつかんで離さなかったのでしょうか。その先の展示物でも、じっくりと見入る子、必死にメモを取る子の姿が見られました。以前に比べると実物資料は少なくなりましたが、逆に、平和記念式典の様子や平和宣言など“未来”へつながる展示物が多くなったように思います。
おそらく、中学生の子どもたちにすべてを理解することは難しいと思います。しかし、この二日間で、「私たちは何をすべきか」を考える種を心に植えつけたことは間違いないと思います。それがこれからどんな形で成長し、どんな花を咲かせるのか、とても楽しみです。
新幹線に心地よく揺られながら眠る子たちは、どんな未来を築いてくれるのでしょうか。
(上2枚の写真をクリックすると、スライドショーをご覧いただけます)
 
最後になりましたが、2年生全員が広島の地を訪れて研修できる機会を設けていただいた市の教育委員会に深く感謝申し上げます。今回の研修にもお二人も同行いただき、子どもたちをサポートしていただくとともに、その姿を生でご覧いただきました。ありがとうございました。

広島研修2日目①(11月9日)

子どもたちが宿泊している江田島は、深夜2時ごろにかなりの雨が降りましたりしかし、それも朝にはすっかり上がり子どもたちの2日目がスタートしました。
こういう宿泊行事で私たちが一番心配するのは「夜、ちゃんと寝られるか」です。それは寝不足だと次の日に体調を崩すのことが多いからです。でも、子どもたちはよく眠れたようで、元気よく、
「おはようございます!」
とあいさつを交わしました。そのあいさつは朝の集いや退所式で所員の方にもすることができ、江田島青少年交流の家を後にしました。
 
今日、最初の目的地は「大和ミュージアム」です。広島の隣町である呉市は戦時中は海軍工廠(こうしょう)があり戦争の最前線基地でした。そこで、当時の最先端の技術を集めて建造されたのが戦艦「大和」でした。その大和100分の1スケールの大きさに圧倒されました。
その中で、子どもたちが一番足を止めたのが「回天」でした。一人がやっと乗れるだけの小さな潜水艦に弾薬を積んで敵艦に体当たりをするために作られたものです。飛行機を使った特攻隊はよく知られていますが、海戦でも同様の作戦が行われ、尊い命が奪われたことを初めて知りました。

広島研修1日目③(11月8日)

ずっと緊張感をもって過ごした子どもたちがいつもの活発な様子に戻ったのは夕食の時間でした。お昼がしげるちゃん弁当だったこともあり、
「おなかすいたぁ」
を連発していた子たちは、「いただきます」の声とともに食べるわ食べるわ。しまいには厨房の方から、
「すみません。今、ご飯を炊いてます」
とおわびいただくほどでした。お腹いっぱい食べられる子どもたちは幸せです。
 
食事をとった後は、今日の最後の活動、被曝ピアノの演奏と歌です。爆心地から1.8kmで被曝したピアノ。そこには無数のガラスが刺さっていました。しかし、そのピアノを引き取り当時の材料で修理する活動をしてみえる調律師さんと出会い、再び優しい音色を奏でるようになったといいます。その音で歌を聴かせていただいた後、今度はそのピアノを弾かせていただき、「HEIWAの鐘」を歌わせていただきました。真ん中の画像をクリックしてください。
昼間、原爆ドームに向かって歌った曲と同じですが、昼間はどことなくもの悲しさを感じましたが、被曝ピアノと一緒に歌った夜は力強さを感じました。これは復興から立ち直っていく広島のエネルギーがそうさせたのかもしれません。そんな子どもたちは入浴を済ませ、まもなく眠りにつきます。遠い広島の地で、どんな夢を見るのでしょうか?
おやすみなさい。