広島研修3(11月7日)

「黙とう」
広島平和記念公園に降り立った子どもたちは、最初に「原爆の子の像」の前に向かいました。手にはみんなで折った千羽鶴が。その中には保護者の方に折っていただいたものも入っています。そんな思いのこもった鶴を代表の子がそっと献呈しました。そして、代表の子が打ち鳴らす鐘の音が響く中、黙とうをささげました。ほんのわずかな時間でしたが、静寂が公園内、そして子どもたちの心の中に広がりました。
その後、12のグループに分かれ、それぞれにガイドボランティアの方について、公園内を案内していただきました。どの場所にも歴史があり、そこから立ち上がった願いがありました。子どもたちは、そんなガイドさんの言葉にしっかり耳を傾け、メモをとっていました。
平和記念公園での最後は、実際に被爆された中西巖さんからお話をうかがう時間です。中西さんは1945年8月6日、広島の中心地から少し離れた所にみえ、翌日に親戚を探しに市内に入り被爆されたそうです。
「話すのは勘弁してもらいたい」
と切り出した中西さん。その理由を語り始められました。
「なぜなら、多くの人が亡くなっているのに自分は生き残りました。申し訳ない気持ちがあります。でも、そのことを伝えていかなくてはならないという思いで話をさせていただきます」
と。当時の映像を映し出しながら話されるその内容は、本で読むよりもテレビで観るよりも、鮮明に、そして重く届きました。

「終戦。恥ずかしいけどうれしかった」
と話を終えられた中西さんの言葉は、きっと当時は口に出すことも許されなかったことでしょう。しかし、この言葉に、一歩を踏み出した力強さを感じました。
「くり返してはいけない歴史を後世に伝えていきたいと思います」
中西さんに、誓いを込めたお礼を述べ平和記念公園を後にしました。